くらしをつくる人NOTE

Vol.15
2022.9.29
Vol.15 陶芸家 岡晋吾さん、さつきさん <有田編>

運命の出会い

九谷青窯で学んだ後に肥前地区の陶芸家の下で修業していたさつきさん。

陶芸の仕事を女性一人で続けることが難しいと感じて、陶芸から距離を置こうとしていた時に晋吾さんとの運命的な出会いがありました。

さつきさんにとってはありがた迷惑な(笑)出会いだったのかもしれませんが
この出会いがなければ今の天平窯はなかったでしょうし、「陶芸家」岡さつきが誕生することも無かったのでしょう。

さつきさん「私は九谷青窯で学んでから肥前地区の窯元に入った後に、陶芸家の下で修行していたんですけど、もう焼き物なんてやるもんかって思ってくらい大変だったんです。
そんな時に出会ってしまって(晋吾さんに)(笑)」

晋吾さん「(笑)俺の隣に住んでいる人がさつきの友達だったんだよ」

さつきさん「私も晋吾が住む前に同じアパートに住んでいたんですよ」

金子「え。すごい!」

さつきさん「全然、すごくないよ(笑)」

晋吾さん「その友人の家にさつきが遊びに来て、それで知り合いになったんだよね」

金子「運命の出会いですね」

さつきさん「会わなきゃよかったー(笑)」

晋吾さん「また焼き物の業界に戻ることになってしまったからね(笑)」

さつきさん「女一人で焼き物やるのは大変だなって実感して本当に辞めようと思って。
暫く、佐賀の発掘調査のバイトをしていたんですよ。そうやってぼーっと暮らしていたんです」

晋吾さん「その後は有田の歴史資料館で復元の仕事をしたりもしていたよね。
泉山で発掘された陶片の欠けたところに絵を描いたりして」

さつきさん「そうそう。それで子供が産まれたので中学生になるくらいまでは子育てしていましたね。また陶芸をやるなんて思ってもいなかったね、その時は」

金子「ご結婚されたのはどのタイミングだったのですか?」

さつきさん「先生と会った時だよね。私が29歳で晋吾が31歳の時かな」

晋吾さん「そこまで遡って話すの(笑)」

さつきさん「すごかったんだよ。最初行ったときに家の中」

晋吾さん「6畳一間の家の話やろ」

さつきさん「そうそう。台所には釉薬が入ったバケツの山。押し入れには土しか入っていなかった(笑)」

金子「ご自宅を窯に改造していたんですか!?」

晋吾さん「そうそう(笑)。万年床だったから押し入れは使わなかったんだよ」

さつきさん「そうしたら今度は轆轤場がないね、って話になり。
だったら轆轤場を借りればいいじゃないって言っていたんだけど
私が一度実家に戻って、一週間後に部屋を見るとあるんですよ。轆轤が(笑)」

晋吾さん「轆轤場ができていたんだよね (笑)。
土が飛ばないようにビニール袋で仕切りを作って、そこで轆轤していたよね」

さつきさん「あはは(笑)。懐かしいわあ」

晋吾さん「そこに入って轆轤ひくと、泥まみれになっちゃうんだよ(笑)」

金子「岡さんたちにもそんな時代があったのですね。それは有田にいた頃だと思うんですけど、独立してすぐにお仕事があったのでしょうか」

晋吾さん「最初はね、有田の新春展示会みたいな問屋さんが来るようなイベントに参加してたんけど。二回出てもう嫌だなって思って」

金子「地元の展示会(笑)岡さん、嫌そう(笑)」

さつきさん「あはは(笑)」

晋吾さん「こんなことをしていても未来は無いなって思って、その足で東京に行ったんです」

4/5
いざ東京へ