くらしをつくる人NOTE
2022.9.29
自由な絵付け
学生時代、さつきさんは写真家になりたかったそうですが、お父さんのアドバイスがきっかけで身近にあった焼き物の道に進むことになります。
そこで見たのは画一化された絵付けの仕事。
古いものを正しく写すのが良いとされていた環境で学んださつきさんでしたが
石川県にある九谷青窯で働いたことがきっかけでその概念が変わります。
さつきさんの作品と言えば可憐な絵付けが特徴で、
その美しさに魅了された幅広い年代の女性のみなさまの心を掴んで離しません。
自由で伸びやかな絵付けがどのように誕生したのか。
その秘密に迫ります。
金子「さつきさんはどういうきっかけで陶芸の道に?」
さつきさん「大学は美術系の学校に入りたいなって思っていたんです。本当は写真をやりたかったんですけど父親に反対されてしまって。 “佐賀は焼き物の産地なんだから、そっちをやってみたら” と言われてその道に入ったんですよ」
金子「そうなんですね」
さつきさん「好きとか嫌いとかではなくて、生活の一部に有田焼があったんです。
父の勧めもあったので、とりあえずその世界に入ってみたという感じでしたね。
短大を卒業した後に、窯業試験場に行って絵付けとデザインを学びました。
在学中に石川県にある九谷青窯がスタッフを募集していることを知って、
思い切って行ってみたんです」
金子「九谷青窯は窯の中でそれぞれが個人作家として活動しているという稀有な存在ですよね」
さつきさん「そうそう。そこで藤塚さんとか万作さんに出会って。
陶芸家ってこういうものなんだな、自分の作品を作るってこういうことなんだなって思ったんです」
晋吾さん「九谷青窯の秦さんも古伊万里に造詣が深い人だからね。絵付けも自由だよね」
さつきさん「私達がいた頃の有田は昔の絵柄を綺麗に写すのが仕事だったけど、
九谷青窯では描きたいものを自由に描くんですよ。
自分のカラーで創作するっていうことを初めて知ったんです。
私は磁器を作りたかったんですよね。磁器の質感が好みだった。
土ものには唐津みたいに自由な作風があったけど
磁器は有田で見たような決まった絵付けしかできないって思っていたので、
自由に作っていいんだって九谷で知って。目から鱗でした」
さつきさん「簡単のようだけど奥が深い。うつわ作家という分野を初めて見た気がしましたね」
晋吾さん「当時、食器を作品として作っていたのは九谷青窯さんしかいなかったんじゃないかな」
さつきさん「クロワッサンに載ったりしてね」
晋吾さん「魯山人が個人でやっていたことを、九谷青窯でやっていたよね」
さつきさん「今、私の作品の中で型物と呼ばれるものを作っていますけど
それも九谷青窯で初めて習ったんですよ。
有田は機械轆轤か圧力鋳込みだったけど
九谷青窯では自分で型を作って、成型して、それを切って作品にするっていう作り方。
今ではみんながやっている方法だけど、その当時は新鮮でしたね」
晋吾さん「そのやり方だと一日でせいぜい20個くらいしか作れないけど、有田がやっているような圧力鋳込みだとあっという間に200個生地ができてしまう。有田は本当に工場みたいだよね」