くらしをつくる人NOTE
2022.5.6
出会っちゃった
大学に入学した田中さん。
持ち前の反骨精神から「探検部」に入ろうと考えていたましたが
「探検部はきついらしいぞ」という噂を聞きつけて、入部することを躊躇していたようです。
ある日、田中さんが勧誘を受けたのは「陶芸部」。
そこでの「やきもの」との運命的な出会いが田中さんの人生を大きく変えることになります。
田中さん「サークル勧誘の人たちの前を歩いていたら陶芸部の先輩に声をかけられたんです。やきもののことなんか全然知らなかったから“ちょっと行ってみようかなあ”くらいの軽い気持ちでついていったのです」
金子「陶芸部に!」
田中さん「いざ、やきものに触れてみたら、それが兎に角、面白くて面白くて。
運命の出会いみたいな表現があると思いますけど、 “やきもの”との出会いがまさにそれだったんです」
金子「好きなものに出会えるって素晴らしいですね!」
田中さん「そうですね!出会えたというよりは出会っちゃったという言い方が正しいかもしれませんけど(笑)」
金子「(笑)」
田中さん「自分の中でこれだけ夢中になれたことはなかったので、やきものから離れることが考えられなくなっていったんです。
次第に“このままやきもので食っていきたいな”という気持ちが芽生えてきました。
職業としてはリスクもあるし、安定しないこともあるけれど出会った頃の気持ちは今でもずーっと続いていて。やきものを作るのは楽しいなあと思っています」
バブル期真っただ中
ついに陶芸と「出会っちゃった」田中さんは
学業そっちのけでやきものと向き合う日々を過ごしていました。
田中さんが大学を卒業されたのは、バブル期真っただ中。
当時は陶芸サークルを経てそのまま陶芸家を目指す方も少なくなかったそうです。
その頃の空気感について田中さんに伺いました。
金子「勉学ができる田中さんじゃないですか」
田中さん「いやいやできないですよ。下から組ですから」
金子「世の中全般から見たら上から組ですよ(笑)
周りの方はきっと、いわゆるよい企業に就職されたと思うんですけど
持ち前の反骨精神から人とは違う道に進みたいという思いがあったのですか?」
田中さん「時代性もあったと思うんですよね。
僕より3つくらい上の早稲田の卒業生が益子に窯を構えていたんです。
その方と飲みながら当時を振り返る機会があったんですけど
“なんとなくだったよね”って話になったんです。
その頃は慶応とか早稲田とかICUとか、僕がいた立教とかの学生サークルが益子に出入りしていたんですよ。益子に陶芸民宿というところがあって、そこで合宿したりして仲間と集っていたんですね。
そのメンバーの中から毎年、一人か二人ずつ、益子に居ついてやきものを作って食っていくという人がいたんです。
バブル真っ只中だったので、陶芸サークルあがりのままなんとなく食えたようないい時代でした」