くらしをつくる人NOTE

Vol.5
2016.12.9
木漆工とけし 渡慶次 弘幸さん、愛さん

ハレの日にも

輪島で修業したお二人は、結婚をきっかけに沖縄に帰ることを考えるようになりました。
この頃から二人で分業してものづくりをするというイメージも少しずつ持ち始めていたとのこと。

20代のほとんどを輪島で過ごしたため、当時はすっかり輪島の人間になっていたそうですが(ご本人談)、
沖縄に戻り7年が経った今、沖縄に感覚が戻ってきていると感じているそうです。

金子「輪島の木を使った作品作りから始めて、今は沖縄の木を生かしたものづくりを目指していると先程伺いました。より沖縄への想いが強くなっているのかなと感じますが」

弘幸さん「桐本さんや赤木さんが、それぞれの考え方ややり方で輪島の漆の良さを伝えていたところを間近に見ることができました。今度は沖縄にいる自分たちに何ができるのか? と考えるようになりました」

弘幸さんが、今まで見たことのない作品を持ってきてくださいました。

弘幸さん「沖縄に戻る時に、“お前たちは琉球漆器をちゃんと作れよ!” って半分冗談で言われたんです(笑)」

愛さん「沖縄に帰ってからもなんとなく、琉球漆器とは少し距離を置いて仕事をしていたんです」

弘幸さん「昔の琉球漆器の図録を見ていると本当に美しくて雅なものが多いけれど、作るというイメージがわかなかったんですよね。でも、沖縄で漆をやるならそういうものも作ってみたいなと思うようになって完成したのがこの小皿です。琉球王朝の時代に作られていた漆器の形を生かして制作しています」

金子「何百年前のものとは思えない、とてもモダンな形ですね」

                               

弘幸さん「とけしとしては珍しいものが出てきたなと感じています。
沖縄には漆の木が生えないのに15世紀頃から漆器が作られ始めて、琉球王朝を代表する工芸品になっていました。他国への献上品として使われていて、琉球を支えた大切なものでした。ところがいろいろな変遷があって、現在はあまり元気がないという状況です」

金子「今後もこういったルーツのあるものを作っていかれるのですか?」

弘幸さん「そうですね。沖縄には元々こんな素敵な漆器があって、私たちなりに考えたのはこういうものなんですけどどうですか? というように提案できたら良いと思っています。
琉球漆器は、やはりハレの日のうつわだと思うんですよね。
いつか同世代が、40、50、60代と年齢を重ねていった頃にやっぱりこういうものも良いよねって、
普通に使えるものにできたらなあと。
その時にこれが琉球漆器だ! というものになっていると良いなあと思っています」


繋がり、繋がる

工房にいつの間にか居ついた猫ちゃんも漆のうつわでご飯を食べています。

なんとも贅沢ですね。

とけしさんたちは、今、沖縄の中からもっと良いものを生み出したいと考えています。

とけしさんたちが考える良いものとは沖縄に住んでいる人たちの日常に合う漆器のことです。

そしてもっといろいろな形で沖縄の人たちや沖縄の自然、そして沖縄の文化や歴史と繋がりたいと思い始めているようです。

愛さん「私たちは沖縄の自然、沖縄の木を木地に、沖縄の土を下地材として使わせてもらっている中で、いろいろな繋がりができたら良いなと思うようになりました。
例えば、原料となる木は近所の方にいただいて、私たちが木地に加工する。
木の皮を私たちは使わないので、近くの染色をしている方に布を染めるための材料として送っています。
染め上がった布を私たちが作る重箱を包む布にできないかなと思ったりしています」

金子「それは、素敵ですね !」

愛さん「こうやって少しずつ地元との繋がりができてきているなと思っているんです。その延長で昔の沖縄のものと繋がりを持ちたいなという気持ちが生まれてきました。
琉球漆器に興味を持ち始めて琉球の時代のものは素晴らしいし、誇らしいものだなと思うようになりました。
今までのものづくりももちろん続けたいと思いますけど、今だったらこういうものを作ってみたいなと思うものも制作していきたいと思っています」

4/5
とけしさんの道具