くらしをつくる人NOTE

Vol.16
2023.3.1
Vol.16 陶芸家 船串篤司さん <ART編>

前編では船串さんが厳しい修業時代を経て、
うつわ作家としてどのような道を歩んできたのかをご紹介いたしました。

後編では船串さんが今後取り組みたいと考えているアートやオブジェといった
造形的な作品に焦点を絞ってお話を伺いたいと思います。

雨晴が船串さんと初めてご一緒したのは雨晴のアートプロジェクト雨跡/AMARTから。

船串さんとは「うつわだけではなく、造形的な作品もお客様に見て頂きたいですよね!」
って、いつもお話をしています。

船串さんはご自身の未来をどのように考えているのか?
その原動力とは?

その核心に雨晴の金子が迫ります!


もうちょいだね。

「失敗しちゃったんですよ」

そう言いながら、船串さんが残念そうに見せてくださった窯の中。
今回の展覧会で初披露しようと準備をしていた陶板アートが焼成時に爆発して無残な姿に、、、(涙)

もう一度チャレンジしてくださるそうなので無事に焼きあがるのを
ハラハラドキドキしながら楽しみに待っています。

船串さんが作陶しながらふと思い出すのは、今は亡きお兄さんのこと。
庭師だったお兄さんからもらったさりげないアドバイスが制作している時に
心に語りかけてくれているそうです。

金子「以前、お兄さんのお話しを伺ったことがあったと思うのですが」

船串さん「うちの兄は何に対しても感覚のいい人だったんです。陶芸もやっていないのに僕よりわかっていたんですよね。服もそうだし、庭づくりも、空間づくりも。そんな兄から沢山の刺激を受けていましたね」

金子「そうだったんですね」

船串さん「兄が言っている意味を理解できなかったことも沢山ありました。
このお皿(船串さんの代表作のプレート)は元々、もっとリムが広かったのです。
ある時兄に “もうちょいだね” って言われて “え?何がもうちょいなの?” って聞いたんですけど、
“それは自分で考えな” って言われたんです」

金子「うんうん」

船串さん「その後、いろいろと考えてリムを狭くしたんですよ。
そうしたら “なんかよくなってきたけど、もうちょいだね” って言われて。
“え、兄は何を言っているんだ?” みたいなことがあって。
ようやく今の幅に近づいた時に “完成形になってきたね” って言われたんです」

金子「へえー」

船串さん 「最初の ”もうちょいだね” はこのリムのバランスが悪いってことを言っていたのかなって後から気が付いたんです。
自分が10年陶芸を続けてようやくわかったことを一瞬で見抜かれたような気がして。心の中で “くっそー” って思いましたね(笑)」

金子「(笑)」

日本人の ”間”

展覧会のタイトルの「間/MA」。

船串さんのお兄さんがよく口にしていたというこの言葉がとても印象的だったので
今回拝借させて頂きました。

お兄さんは「間」という概念を通じて日本人として大切にすべきことを船串さんに教えてくださっていたようです。

船串さん「”間を大切にしろ” って兄にはよく言われましたね。
日本人は古くから “間” を大切にしているから、”空間” とか”時間”という言葉には “間” がつくんだって
料理を装った時のうつわの “間” が大事とか、盆栽も枝が流れた時のこの ”空間” が大事とか。
花器のかたちも花を生けた時にできる ”間” とか、人との会話の ”間” とか。
“今の日本人はもっとそういう間を大切にした方がいいんだよって” って言っていましたね」

金子「小さい頃からお兄さんは何か違うなと感じていましたか?」

船串さん「兄は違いましたね。絵も工作もとっても上手だったし。ある日、兄が錆びた針金を拾ってきたんですよ。
それを部屋にぶら下げるだけでその空間がアートのように感じられました。何をやってもかっこよかったですね」

金子「お母様の影響もあったのでしょうか」

船串さん 「それもあるとは思いますけど、兄貴の感覚はすごかったですね。
生きていたらどうなっていたんだろうって今でも思いますね。
兄は “国際バラとガーデニングショー” で大賞をとったんです。
この賞をとれば一生食べていけると言われているんですけど
翌年以降は兄の仕事をマネする人が出てきたくらいインパクトが強かったみたいです。
それをきっかけに、海外からも仕事のオファーが来ていたようですよ。
本当にこれからっていう時に亡くなってしまって。もったいないなって思いましたね」

1/5
篤司は造形に向いているよ。