くらしをつくる人NOTE

Vol.6
2017.4.09
陶器工房 壹 壹岐幸二さん

第六回は、沖縄県読谷村の小高い丘に工房を構える陶器工房 壹 壹岐幸二(とうきこうぼう いち いきこうじ)さんです。

海を一望できる工房には、南国の心地よい風が吹き込んでいます。

壹岐さんが沖縄の古陶に想いを馳せながら生み出した「沖縄のかたち」の数々は、沖縄の焼き物のルーツを感じる、力強く、モダンなものばかり。

日々、奥様をはじめとした工房の皆さんと共に、くらしに馴染むうつわ作りに励んでいらっしゃいます。


異文化に魅せられて

壹岐さんは京都生まれの京都育ち。

沖縄県立芸術大学への入学を機に沖縄へ移住した、沖縄の方言で言うナイチャー(内地の人)です。

日本の雅な文化が凝縮された京都で生まれた壹岐さんが、
なぜ沖縄という全く異なる文化の地に根を張ることになったのか、雨晴金子が伺います。

金子「壹岐さんが沖縄で陶芸家を目指したきっかけを教えてください」

壹岐さん「ものを作る人になるのだろうなとは昔から漠然と思っていたよ。
料理人や絵描きになろうかと思っていた頃もあったんだ」

金子「そうなんですか!? それは初耳です」

壹岐さん「京都で絵を習っていたんだけど、先生から沖縄に新しく芸術大学ができるから行った方が良いと勧められて、すぐに沖縄に飛んだんだよ」

金子「それ以前に、沖縄に行かれたことはあったのですか? 」

壹岐さん「ないない。幼少期のクイズ番組の景品がグアム、サイパン、ヨロンだったんだけどヨロンは外国だって思っていたくらいだから(笑)。 沖縄のことも全く知らなかった。多感な時期だったから、とにかく京都から出たかったんだよね」

金子「初めて訪れた沖縄の印象はどうでしたか? 」

壹岐さん「ここは外国なんだなと思ったよ。到着してからの数日、町を歩いているといきなりお墓があったりして、文化が全く違うことに気づいたんだ。沖縄というものを強く意識するようになったし、沖縄の文化を学ぼうという気持ちにもなった」

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琉球王朝のうつわ