くらしをつくる人NOTE
2016.10.21
第四回は、日本の陶磁器生産量の半分を占める美濃焼の産地、
岐阜県土岐市に工房を構える陶芸家村上雄一さんです。
村上さんご自身が日々の食卓の中で愉しく使っているうつわは使い心地もよく、
料理を盛り付けてこそ輝くものばかりです。
お椀と旅に出る
村上さんは19歳の時から陶芸に携わり、10年の修業を経て2011年に独立。
修業を始めてから独立するまでの間に大切な出会いがいくつもあったそうです。
工芸に興味を持った漆器との出会い。
陶芸家を目指すきっかけとなった師匠との出会い。
奥様との出会い。
そして、村上さんの陶芸の幅を広げることになった焼き物との出会い。
どのような出会いが村上さんを陶芸家の道に導いたのか、雨晴金子がお話を伺いました。
金子「村上さんが陶芸家を目指すきっかけは何だったのでしょうか?」
村上さんが食器棚から赤い漆のお椀を手に取りました。
村上さん「これは福井県の越前塗のお椀です。口元に布を張って何度も漆を塗り重ねている丈夫なうつわです。毎日使っていても全然へこたれないし、多少欠けても問題なく使える。使っているうちにこういうものを作れる人ってすごいな、自分も作れるようになりたいと思うようになりました」
金子「お椀との出会いがきっかけで、職人になりたいという気持ちが生まれたんですね」
村上さん「そんな想いもありこのお椀を手に、18歳の時に工芸を見て回る旅に出ました。一年間歩いて旅をし、最終的にたどり着いたのが沖縄。そこで師匠になる山田真萬さんの作品に衝撃を受けて、そのまま弟子入りしました」
金子「すごい勢いですね! 沖縄には焼き物の作家になるために行かれたんですか?」
村上さん「いえいえ。親方に出会ったことがきっかけで、陶芸家を目指すことに決めました。沖縄に行くまでは、自分が陶芸の道を志すとは全く思っていませんでした。初めて目にした親方の作品がとてもモダンに見えてこんな焼き物を作れるようになりたいと思ったんです。親方に弟子入りをお願いしたら快く引き受けてくださって、それから焼き物作りに没頭する日々が始まりました」
金子「山田さんの工房では、どのくらいの期間修業されたのですか?」
村上さん「5年です」
金子「その後、沖縄で独立するという選択肢もあったと思うのですが?」
村上さん「沖縄で修業を始めて3年目に妻と出会いました。
妻の実家では民藝のうつわだけではなく、伊万里、洋食器、作家物のガラスや漆器が食卓に並んでいました。常に美しく盛ることも怠らず、当初はご飯を盛りすぎてよく注意されました(笑)。
そこからだんだんとうつわに対する意識が変わっていき、もっと民藝以外の焼き物を勉強したいと思い、岐阜県多治見市にある陶磁器意匠研究所に入学することに決めました」
金子「意匠研究所を卒業した後に、土岐で独立されたわけですね」
村上さん「知り合いの方にこの場所を紹介してもらって。元々焼き物の生地屋さんがあった場所だったんです。ある程度の設備もあったので決めました。住めば都というか、仕事をするのにもくらすのにも最高の場所です!」