くらしをつくる人NOTE

Vol.9
2017.10.02
宮城陶器 宮城正幸さん

第九回は、自然豊かな沖縄県南城市で作陶に励む「宮城陶器」宮城正幸さんです。

「シンプル・味わい・伝統・モダン」をコンセプトに、
沖縄という土地が培ってきた伝統を受け継ぎながら、
現代のライフスタイルに自然に馴染むうつわ作りを目指しています。


ゆるーっと焼き物に

近年、沖縄では多くの若手陶芸家が独立しています。

その中でも、高い技術と感性から生まれた作品に支持が集まっている「宮城陶器」宮城正幸さん。

個人的には宮城さんが独立される前、
「陶器工房壹」壹岐幸二さんの下で修業されていた時からのお知り合いです。
当時も真摯な対応をしていただいたことをいまでも覚えています。

そんな宮城さんが独立されたと風の噂で聞いたのは、雨晴ができる少し前のこと。
壹岐さんの下で10年も修業された宮城さんが、どのような作品を作られているのかとても興味が湧きました。
なぜ、宮城さんが陶芸家になったのか。
独立してから数年経ったいま、何を目指して作陶されているのか。

雨晴金子が伺います。

金子「宮城さんが陶芸家になったきっかけを教えてください」

宮城さん「漠然と何かものを作る仕事がしたいなと思っていたんですよ。沖縄には様々な工芸がありますが、自分に合いそうな“土”を選んだんです」

金子「それまで焼き物に興味があったのですか?」

宮城さん「いえ、全然(笑)。当時、サラリーマンをしていて、何か自分の仕事に違和感があるなあと感じていました。ものづくりの仕事をしたいなと思い始めて、ゆるーっと焼き物に魅かれていったんです」

金子「それですぐに壹岐さんのところに?」

宮城さん「いえ、脱サラしてすぐに自分で窯を買って、陶芸を1年くらい独学でやってみたんですが、上手くいかなくて。それで、やちむんの里やいろいろな工房を見学しました。
その中で一番好きだったのが、壹岐さんの作品だったんです。すぐに門をたたいて弟子入りさせていただきました」

轆轤の仕事

宮城さんが10年間の修業の中で学んだもの。
それは轆轤の仕事。
とにかく毎日轆轤に向き合い、壹岐さんの工房を卒業する時には工房の定番品の約半分の轆轤を担当していたそうです。

金子「修業時代のことを教えてください」

宮城さん「最初は草むしりとか、雑用全般を担当していました。釉がけ、粘土作り、親方の補助、窯詰め、窯出し、底処理など。焼き物を作る時間と同じくらい雑用をしていました。
修業し始めの頃は、轆轤に触れるのは空いた時間や仕事がひと通り終わった後。
自分の腕を上げるために自主練習をしていました。
これで食べていきたいと思っていたからずっと轆轤をひいていたんです」

轆轤の仕事を中心に10年間真摯に修業に打ち込んできたからこそ、独立してからも仕上がりの美しい作品を制作することができているのだと知ることのできるエピソードです。

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次世代の担い手